西川和孝/著
本書では、中華世界の辺縁部に位置する雲南省に焦点を当て、漢人移民の活動を通して中華世界拡大に関して新たなメカニズムを提示する。この舞台となるのが、紅河を介して非漢人世界に隣接する雲南省南部に位置する石屏県(セキビョウケン)である。石屏県における漢人入植の歴史は明代初めにまで遡る。当初、明朝主導のもと屯田として入植した漢人は、二つの湖からなる石屏盆地の耕地開発を開始した。最初は水を引くだけで灌漑可能な緩い傾斜地から耕地開発に着手し、徐々にクリークや囲田など高度な技術が必要となる湖の周辺地域へと拡大し、並行して商品作物の栽培や手工業も行うなど土地資源の効率化に努めていったが、ついには清代初めには開発が限界に達し、新たな生活の糧を求めて外界へと飛び出していくこととなる。この時、石屏の人々の移住活動を支えたのが、こうした過程で得た様々な技術であった。即ち、土地資源の効率化を求める中で、土木工事、商品作物の栽培、社会上昇を狙った読み書き技術習得による知識人の養成などの様々な経験と技術が蓄積され、移住先においてそれぞれ鉱山開発の進展、プーアル茶の栽培、私塾や家庭教師としての招聘など様々な形で実を結び、移住先であるフロンティア地域の非漢人の人々にその利益の一部を還元することで地元社会と媒介する役割を果たすのである。こうして石屏漢人は、盆地開発の過程で得た様々な技術を、移住先に移転していくことでフロンティアへの移住を繰り返し、居住範囲を次々と拡大していくのである。石屏漢人のこうした技術移転を媒介した移住パターンは、従来の民間主導の移住活動によって形成拡大してきたという中華世界に対する見方を修正し、移住活動において屯田などの王朝の果たした役割の重要性を明らかにする。英語・中国語要約付
本書では、中華世界の辺縁部に位置する雲南省に焦点を当て、漢人移民の活動を通して中華世界拡大に関して新たなメカニズムを提示する。この舞台となるのが、紅河を介して非漢人世界に隣接する雲南省南部に位置する石屏県(セキビョウケン)である。石屏県における漢人入植の歴史は明代初めにまで遡る。当初、明朝主導のもと屯田として入植した漢人は、二つの湖からなる石屏盆地の耕地開発を開始した。最初は水を引くだけで灌漑可能な緩い傾斜地から耕地開発に着手し、徐々にクリークや囲田など高度な技術が必要となる湖の周辺地域へと拡大し、並行して商品作物の栽培や手工業も行うなど土地資源の効率化に努めていったが、ついには清代初めには開発が限界に達し、新たな生活の糧を求めて外界へと飛び出していくこととなる。この時、石屏の人々の移住活動を支えたのが、こうした過程で得た様々な技術であった。即ち、土地資源の効率化を求める中で、土木工事、商品作物の栽培、社会上昇を狙った読み書き技術習得による知識人の養成などの様々な経験と技術が蓄積され、移住先においてそれぞれ鉱山開発の進展、プーアル茶の栽培、私塾や家庭教師としての招聘など様々な形で実を結び、移住先であるフロンティア地域の非漢人の人々にその利益の一部を還元することで地元社会と媒介する役割を果たすのである。こうして石屏漢人は、盆地開発の過程で得た様々な技術を、移住先に移転していくことでフロンティアへの移住を繰り返し、居住範囲を次々と拡大していくのである。石屏漢人のこうした技術移転を媒介した移住パターンは、従来の民間主導の移住活動によって形成拡大してきたという中華世界に対する見方を修正し、移住活動において屯田などの王朝の果たした役割の重要性を明らかにする。英語・中国語要約付